土岡俊介さんへ
こんにちは、結城浩です。
この「圏論と学びをめぐる往復書簡」の企画は8回の予定でしたから、結城からのお手紙は今回が最後になります。 土岡さんにお手紙を書くのも、またお返事をいただくのもたいへん刺激的な体験でした(私によく理解できない部分はたくさんあったにせよ)。
No.03の「記憶と理解」にも書きましたが、 土岡さんがNo.02に書いた「まずは定義を記憶してしまいましょう」というのは何度も思い返す、 有用なアドバイスです。
結城が難しめの数学に取り組んで「何となくわからない」というとき、 実のところ、定義がすらすらと出て来ない場合があまりにも多いことに気付いたからです。 「何となくわからない」という感覚は、実は「定義を記憶していない」ことの証拠である、 とまで言えそうです。
トーイモデル
土岡さんのお手紙No.06には「トーイモデル(toy model)」のお話が出てきました。トーイモデルは私も大好きです。 また数学でしばしば登場する「○○の類似」も大好きです。 土岡さんはNo.06で「『ベーシック圏論』自体が、圏論の教科書(たとえば、マクレーン)のtoy model」と書いておられました。 私の理解では「なるほど、確かにそうなってますね」とは残念ながらまだ言えません。 でも、そういう位置付けと考えられる本なのだという感動が少なからずありました。
結城は「数学ガール」シリーズで中学生や高校生も楽しめる数学物語を書いているのですが、 その中にはときどき難しい数学が顔を出さざるをえないことがあります。 あくまで読み物なので、数学書のような厳密さを目指そうとはしませんが、 とはいえ数学的な嘘は書かないよう努力しています。 たとえ厳密な条件を示さずに説明する部分があったとしても、 そこには「厳密には違うけれど」や「正確には条件が必要になる」 という印は残すように心がけています。
といっても、難しいものをいきなり提示すると、 多くの読者に拒否反応が生まれるのは避けられません。 そのためにも、トーイモデルは重要になります。 単なるお話ではなく、規模こそ違えども類似の構造を持つもの、 少しでも自分で計算に参与できるようなものを読者に届けられたらいいなと思っています。
たとえば「世界に素数が二つだけなら」という物語が『数学ガール』第8章に出てきます。 数学的には「調和級数が発散することから素数の無限性を示す」というオイラーの証明なのですが、 最初から一般的に示してしまうと、多くの読者は数式を追うことに困難を覚えてしまいます。 そこで「世界に素数が二つだけなら」という、ささやかな物語からスタートして、少しずつ話を展開していくのです。
また、たとえば『数学ガール/ポアンカレ予想』では、ペレルマンの証明のトーイモデルが出てきます。 結城は、ポアンカレ予想の証明を数学的に理解することはできませんので、 それを物語として直接描くことはできません。けれども、単なる紹介にしてしまうのはおもしろくないと思いました。 そこで、ペレルマンが行った解析的な手法を、熱拡散方程式とフーリエ解析に置き換えました。 これによって、高校生でも数学的内容に少し踏み込んで体験することができると考えたのです。
概念を理解するのが読者にとって難しそうな場合でも、 トーイモデルや類似を使えば、考える手がかりを伝えることができます。 規模を小さくし、類似した構造を通して、理解を得ることができます。
トーイモデルを通さなくても概念そのものを理解できる人は、 トーイモデルをつまらないと思ったり、 類似を理解しても意味はないと考えるかもしれません。 でもまだその概念に慣れていない人にとっては大きな意味を持つはずです。 興味を持ってもらう効果もありますし、 自分で計算するうちにもっと深く学びたいと思う効果もあるでしょう。
本を読んでいて「なるほど」と感じるのは大きな喜びです。あるところまで理解した喜びです。 そして、ああ確かに自分が理解したなと感じるのは、自分の手を動かしてうまく行ったときです。 あるいはうまく行かなかったけれど、それを修復できたときです。 トーイモデルや類似はそのための大きな手助けになると考えます。
理解と対話
No.02で「セミナーの準備のしかたについて」というページが紹介されていました。 このページは有名ですよね。何回も読んだことがあります。 この中で興味深いのは「何も見ないでセミナーで発表できるように」の次に「セミナーの時間配分も考える」とある点です。
結城はふだん一人で書き物をしているので、セミナーのように他の人に話す機会はありません。 しかしながら「何も見ないでいま書いている内容を話せるように」というレベルまで持っていきますし、 また、本には紙幅がありますから「書く内容のページ配分も考える」ことも行います。 そうすることで自分の理解は深まり、書く本の品質も上がると信じています。
「何も見ない」や「時間配分も考える」などの制約によって自分の理解の度合いが測定でき、 その制約に従おうとすることが理解を深める役に立つのだと理解しています。
「数学ガール」シリーズは数学物語です。 そこには「数学の論理」と「物語の論理」の両方を一定の紙幅に収める必要があります。 数学に嘘があってはいけないのと同じように、 物語にも嘘があってはいけません。
数学の論理はわかりやすいのですが、物語の論理はわかりにくいかもしれません。 複数の登場人物が、数学を題材にして対話を繰り広げるときに、 作者の都合がいいように登場人物を動かしてしまうと物語が嘘になってしまいます。 登場人物は一人一人が生きていて、それぞれの立場から数学を理解しようとします。 そこをきちんと表現しなければ、複数の登場人物は消え、作者一人が残ってしまう事態になってしまうでしょう。
物語の論理はしばしば「自然さ」とも表現されます。 彼女ならば、ある説明に対してどう考えるのが自然か。 そしてどのような誤解に陥るのが自然か。 その「自然さ」が物語の論理を作り上げていくのです。
複数の登場人物が一つの問題に取り組む。 最初はささやかな歩みに過ぎないかもしれない。 なかなか正解に至れないかもしれない。 しかし、それぞれの視点から問題に対して誠実に取り組み、対話を重ねる。 それによって、一人では得られなかった世界まで至ることができる。 そんな物語を描きたいものです。
総和を越えて
No.06に、 プログラミングのおもしろさとして「一つひとつの部品は他と独立に、 約束されたインタフェース通りに振る舞うように実装された動作をしているだけなのに、 全体としてはその部品も思いもつかないような機能を果たしている」 と書かれていました。私もそれに共感します。
「部分の総和が単なる総和ではなくなる不思議」に対しておもしろいと感じるのかもしれませんし、 よく言われる「量が質を生む」という現象なのものかもしれません。 もしかしたら、人間が把握できることの限界のゆえに「思いもつかない」と認識されるのかもしれませんが、それでもおもしろいことには変わりありません。
結城のメインの仕事は数学物語を本としてまとめることです。 一冊の本は複数の章からなり、一つ一つの章はまとまりを持った内容が書かれています。 しかし私は、各章の総和としての本ではなく、 各章がうまく相互作用を行って豊かな世界を作り出す本を書きたいといつも思っています。
いわゆる伏線と伏線回収は、 各章の相互作用の一例ではありますが、それがすべてではありません。 物語と数学を追いながら読者が各章をめぐり歩く途中で、 自分の中に複雑な化学変化が起きます。
それは数学的な概念を理解していない状態から理解している状態への遷移かもしれませんし、 《二つの世界》の架け橋に気付く状態への遷移かもしれません。
私からのお便りは今回で最後になります。 この往復書簡を読む読者さんにとって、 この往復書簡全体が、一通一通の総和を越えたものになることを願っています。
ありがとうございました。
お返事を楽しみにしています。