\[ \newcommand{\SF}{\mathcal{F}} \newcommand{\SG}{\mathcal{G}} \newcommand{\SET}{\mathbf{Set}} \newcommand{\CMAT}{\mathbf{Mat}} \newcommand{\GRP}{\mathbf{Grp}} \newcommand{\RING}{\mathbf{Ring}} \newcommand{\CRING}{\mathbf{CRing}} \newcommand{\TOP}{\mathbf{Top}} \newcommand{\PAR}{\mathbf{Par}} \newcommand{\TOPP}{\mathbf{Top}_{\ast}} \newcommand{\TOPH}{\mathbf{Toph}} \newcommand{\FIELD}{\mathbf{Field}} \newcommand{\AB}{\mathbf{Ab}} \newcommand{\VECT}[1]{\mathbf{Vect}_{#1}} \newcommand{\MOD}[1]{\mathbf{Mod}_{#1}} \newcommand{\DIVI}[2]{{#1}\mid{#2}} \newcommand{\ISOTO}{\stackrel{\sim}{\to}} \newcommand{\CC}{\mathcal{C}} \newcommand{\CD}{\mathcal{D}} \newcommand{\KK}{K_0} \DeclareMathOperator{\IM}{Image} \]
結城浩さんへ
お手紙ありがとうございます。 「圏論ならでは」について、思い浮かんだことを線型代数に関連させて三つ書いてみます。
自明に自明
一つ目は、通常の数学について、 どこが特殊性を使っているところで、 どこが一般論から従うところかを切り分ける手段を提供するところでしょう。 スローガンで言えば、Jon Peter Mayによる
Perhaps the purpose of categorical algebra is to show that which is formal is formally formal.
や、その元となったPeter John Freydによる
Perhaps the purpose of categorical algebra is to show that which is trivial is trivially trivial.
になるかと思います(これらの出典や意味については、Mathematics Stack Exchangeの「“The purpose of being categorical is to make that which is formal, formally formal” what does it mean?」が参考になります)。
例えば『ベーシック圏論』の例1.2.4 (c)の、忘却関手\(U:\VECT{k}\to\SET\)に対する 自由構成関手 \[ \begin{align*} F:\SET\to\VECT{k} \end{align*} \] を考えてみます。そこでは\(S\in\SET\)が自由生成する\(F(S)\in\VECT{k}\)の 二通りの構成法(\(S\)の元の形式的線型結合の集合、または\(\SET(S,k)\)の 適当な部分集合)が紹介されています。 これ以外の「集合としては異なる」構成法もいくらでもありますが、 どう作っても\(F(S)\)は同型になります。 また 写像\(f:S\to T\)に対して、線型写像\(F(f):F(S)\to F(T)\)を 直接定義して関手にすることもできるし、 \(F(S)\)が別の構造を持つことを示すことで割り当て\(S\mapsto F(S)\)を関手\(F:\SET\to\VECT{k}\)に 拡張することもできます(例4.3.4)。 そこで、私が作った\(F\)を\(F_T\)、結城さんが作った\(F\)を\(F_Y\)とします。 どう作っても関手\(F\)の自然同型類は一意的ですが(演習問題4.3.18 (c)の双対)、 自然同型\(F_T\cong F_Y\)が一意的かどうかを問題にしてみましょう。
\(F_T\)と\(F_Y\)は、それぞれ注意2.2.8の 随伴四つ組 \[ \begin{align*} (F_T,U,\eta_T,\varepsilon_T),\quad(F_Y,U,\eta_Y,\varepsilon_Y) \end{align*} \] へと格上げされますが、 圏論の形式的に形式的(formally formal)な定理から、 自然同型\(\alpha:F_T\ISOTO F_Y\)であって \[ \begin{align*} \eta_Y=U\alpha\circ\eta_T,\quad\varepsilon_T=\varepsilon_Y\circ \alpha U \end{align*} \] となるものがただ一つ存在することを証明できます(記法\(U\alpha,\alpha U\)は 注意1.3.24の通りです。今回は随伴四つ組を使って一意性を定式化しましたが、 表現可能関手を使っても「適当なただ一つの自然同型」を定式化できます)。 これによって、何か通常の数学の定理が証明できることはなさそうですが、 自由構成関手の外延を理解できた気がして、少なくともすっきりとすることができます。 単に\(F\)を構成するだけなら、監修者まえがきにあるように 「圏という概念を持ち込まなくても、 物事は十分に理解できるように思われ」るのですが、 「どう作っても線型空間として\(F(S)\)は同型」とか 「どう作っても\(F\)は関手として自然同型」より細かい意味での 一意性について何かしらすっきりしようとするならば、 「圏論ならでは」の「自明に自明」を知る必要があるのではないかと思います。
一般随伴関手定理
二つ目は、圏論の定理から通常の数学の定理を示せることです。 今の場合\(F\)の存在を、具体的な線型空間\(F(S)\)を構成することなく、 一般随伴関手定理(定理6.3.10, GAFT)によって集合の濃度算などから示すことができます。 これは、有理数による近似具合の評価によって \[ \begin{align*} \pi,\quad e,\quad\sum_{n\geq 1}\frac{1}{10^{n!}} \end{align*} \] などが超越数であることを直接示す ことができる一方で、代数的数の集合\(\overline{\mathbb{Q}}\)と実数の集合\(\mathbb{R}\)の濃度算から 超越数が存在することは示せる(カントール)、というのに似ているかもしれません。
今の例の\(F\)では 「どういう構成法かわからないが存在するだけでありがたい」ということはなさそうですが、 通常の数学では(少なくとも私には)思いもよらない構成法で興味深いです。 ちなみにS. Langの教科書Algebra(GTM211, Springer, 2002年)では、 自由群構成関手\(F:\SET\to\GRP\)をGAFTで構成して います(Proposition 12.1. ベーシック圏論では例1.2.4 (a)で 通常の構成の面倒さが説明され、GAFTの使い方については演習問題6.3.24で扱われています)。
圏論化
三つ目は、やや専門的な話になりますが、通常の数学の対象(集合論的対象)の 圏論版を考えることが重要であることが知られていて、圏論化(categorification)と呼ばれています。 そして、定理の主張に圏は登場しないものの、 圏論化の手法でしか証明が知られていない通常の数学の定理があり、 数学の深い結果とされます(ここでは紹介できませんが)。
圏論化の例として、アーベル圏(いくつかの性質や構造をもつ圏のこと)は 線型空間の圏論版(の一つ)と思うことができます。 グロタンディーク群を取るという操作\(\KK\)があって、 アーベル圏の間の加法関手 \[ \begin{align*} F:\CC\to\CD \end{align*} \] から、線型空間の間の線型写像 \[ \begin{align*} [F]:k\otimes_{\mathbb{Z}}\KK(\CC)\to k\otimes_{\mathbb{Z}}\KK(\CD) \end{align*} \] を得ることができます。
ここで\(F,G:\CC\to\CD\)が\([F]=[G]\)であったとしても、\(F\ne G\)となっており \(F\cong G\)でしかなくて、特別にうまい\(\alpha:F\ISOTO G\)を 選ぶと面白いことが起こることがあります。「自然同型は ただの等号にしかならないが、無数の自然同型のうち良いものが ある役割を果たす」といったところでしょうか。
あくまで比喩ですが、線型代数で\(V_1,V_2\subseteq V\)が有限生成部分空間のとき \[ \begin{align*} \dim_k V_1+\dim_k V_2=\dim_k (V_1+V_2) + \dim_k (V_1\cap V_2) \end{align*} \] が成り立つ、というのを標準的な同型(これは環上の部分加群\(V_1,V_2\subseteq V\)について無仮定で成立します) \[ \begin{align*} V_1/(V_1\cap V_2)\ISOTO (V_1+V_2)/V_2 \end{align*} \] の両辺の\(\dim\)をとって \[ \begin{align*} \dim_k V_1-\dim_k (V_1\cap V_2)=\dim_k (V_1+V_2) - \dim_k V_2 \end{align*} \] の形で証明することに似ているかもしれません。
\(\dim\)をとると、線型同型はただの等号にしかなりません。 等号を得るにはどの線型同型でも構わないのですが、 ここでは標準的な線型同型が数の等号を説明しています。 線型空間の圏論版(の一つ)がアーベル圏だ、と冒頭に述べましたが、今の比喩では、数の集合版(の一つ)が線型空間だ、というわけです(大学の 線型代数の授業で、前期には掃き出し法で定義していた\(m\times n\)行列\(A\)のランクが、 後期には対応する線型写像 \[ \begin{align*} F_A:k^n\to k^m,\quad\boldsymbol{v}\mapsto A\boldsymbol{v} \end{align*} \] の像 \[ \begin{align*} \IM F_A=\{A\boldsymbol{v}\mid \boldsymbol{v}\in k^n\} (\subseteq k^m) \end{align*} \] の次元になることにも似ているかもしれません)。
圏論化の文脈では、もはや圏論は「多様な数学的対象や数学的事実に対して抽象度が高く統一的な表現を与える」言語というよりは、「特定の数学の定理の証明を行うための素材」または 「特定の数学の定理の本質をあぶり出すための概念装置」となっています。 数学では、(フェルマーの定理のような)小学生でもわかる 自然数の特定の性質を証明するために、さまざまな概念を導入しますが、 それと変わらない営みだと言ってよいでしょう。 齋藤恭司さんが、監修者まえがきで「何ゆえに 圏という概念を導入する必然性があるのか、当時の私には不明であった」への 答えとして挙げられている例も、この視点に通じるものがあると思います。 あるいは『連接層の導来圏に関わる諸問題』(戸田幸伸、数学書房)を 眺めてみると、さらに雰囲気を垣間見られるかもしれません。
終わりに
「圏論ならでは」について思いつくままに書き出してみました。 初学者向けの回答になったかどうか自信がありませんが、 またお手紙をいただければ幸いです。
追伸:「普遍性」と「標準的」について
普遍性は普遍元(系4.3.2)のこと(つまり、表現可能関手の表現の、米田の補題を用いた 言いかえ)だと思えばよいでしょう。 普遍元と随伴との関係が系2.3.7または例4.3.5 (b)で、 極限との関係が命題6.1.1です。
一方で標準的な写像というのは、 誰が作っても同じになる写像をたいていの場合は意味するのだと思っています。 結城さんが挙げている\(V\to V^{\ast\ast}\)はまさにそうですが、 自然変換\(1_{\VECT{k}}\to (-)^{\ast\ast}\)にもなっています(が、すぐに思いつくような普遍性はなさそうです)。
ポアンカレの名言にある通り「数学は異なるものに同じ名前をつける技法」なのですが、 同じ名前をつけた異なるものを、 標準的な同型(あるいは自然な同型)で ある程度はきちんと同一視したくなる場面があります。 等号(相等)と同型と特別な同型はしばしば区別される、といったところでしょうか。 当面は「なるほど、そんな考えもあるんですね」くらいで念頭において、 また出くわしたら考える、くらいのスタンスでよいのではないかと思います。